アメリカ永住権を求める人間ドラマ

ハリソン・フォード

人間味あふれたI.C.E.特別捜査官を演じたのは、ハリフッドの大スターハリソン・フォードです。インディ・ジョーンズシリーズで若々しい姿が目に焼き付いているだけに、この映画では一味違ったハリソン・フォードを味わうことができます。

ハリソン・フォードは1942年(昭和17年)7月13日アメリカイリノイ州シカゴ生まれです。父親のクリストファー・フォードは元俳優でアイルランド系アメリカ人。母親ドロシー・フォードはラジオ女優でロシア系ユダヤ人です。身長183センチ。いくつになっても背筋がピッと伸びていて、ハリソン・フォードは俳優として着実にキャリアを築き上げてきました。

経歴

ウィスコンシン州の私立リポン大学在学中に演劇に目覚めたこともあり、大学を中退してからは地元の劇団で活動していましたが、本格的に俳優として活動するためロスアンゼルスに移住しました。

そこでコロンビア映画の重役に認められることになり、コロンビア社所属の俳優として契約を結ぶことになり、1966年(昭和41年)『現金作戦』で映画デビューを果たしました。

その後は大作映画やテレビドラマで脇役やゲスト出演を続けていましたが、充分な作品に恵まれない状況や映画俳優としての疑問を抱くようになったこともあり、契約終了後には独学で技術を学んで、大工に転職しました。家のリフォームや家具作りをしながら生計をたてる一方で、俳優として活躍するチャンスを模索していきました。

腕の良い大工さん

無名時代のハリソン・フォードは、ハリウッド界隈でも特に腕の良い大工として知られていました。

ジェームズ・コバーン(代表作:荒野の七人など)をはじめとした、多くのハリウッドスターを顧客に持っていたほどの腕前です。

大工としての才能も傑出していたため、仕事を始めてまもないころに知人の紹介でセルジオ・メンデス(ミュージシャン)のスタジオの改築を手がけたときには、大工になってまだ日が浅いにもかかわらず、手馴れた手腕で改築に取り組み、その見事な仕上がりにメンデス自身から驚きと賞賛を得たほどです。

今でもハリソン・フォードは大工仕事に愛着を持っています。俳優として成功した後でも、自宅の家具作りやリフォームを自らの手で行っています。

転機が訪れる

大工として働いていたころ、大工仕事を通じて知りあった映画プロデューサーのフレッド・ルースの紹介を受けて、映画『アメリカン・グラフィティ』に出演しました。ハリソン・フォードは自身の役柄に対して、様々なアイディアを出したります。その積極的な姿勢が評価されて、監督のジョージ・ルーカスの信頼を得ると共に、この映画のプロデューサーでもあったフランシス・フォード・コッポラにも注目さました。

そして続けて『カンバセーション/盗聴』に出演することになりました。その後はアメリカン・ゾエトロープ(コッポラのスタジオ)で裏方として働きながら、コッポラやルーカスなどと親交を結んでいきました。

ヒーローに

1977年(昭和52年)には、フレッド・ルースの紹介で『スター・ウォーズ』のオーディションに参加します。オーディションに参加した時の、不安な心境と男らしい雰囲気が決め手となって、ハン・ソロ役に抜擢されました。そして『スター・ウォーズ』の爆発的ヒットに伴って、ハリソン・フォードも一躍人気スターとなりました。

『スター・ウォーズ』旧3部作のハン・ソロ役を演じる一方で、『ナバロンの嵐』や『ハノーバー・ストリート 哀愁の街かど』など数々の話題作に出演して、俳優としての活動に弾みをつけていきます。

1981年(昭和56年)には、ジョージ・ルーカス製作の『レイダース/失われたアーク《聖櫃》』に主役のインディ・ジョーンズを演じました。同作品も『スター・ウォーズ』同じ様に大ヒットを記録して、後にシリーズ化されることになりました。

いろいろな役

アメリカ映画界の二大ヒーロー役を手にすることなったハリソン・フォードは、アクションスターとして活躍する一方で、1985年(昭和60年)には『刑事ジョン・ブック 目撃者』で正義感溢れるタフな刑事役を主演しました。アーミッシュの文化に戸惑いながらも、犯罪を目撃した母子と心を通わせる人間味豊かな演技が評判を呼ぶことになって、その年のアカデミー最優秀主演賞にノミネートされ、演技力も高く評価されました。

その後は、ロマン・ポランスキー、アラン・J・パクラ、マイク・ニコルズなどのアメリカ映画界を代表する監督陣の映画に相次いで出演します。『ワーキング・ガール』では、ヒロインと恋仲になる重役を軽妙なタッチで演じて、『心の旅』では記憶喪失となりながら、暖かい人間性を取り戻していく辛辣な弁護士を演じるなど、ロマンチック・コメディからサスペンスまで幅広いジャンルの映画に出演して、俳優としての幅を広げていきました。

その地位を確かなものに

1992年にはベストセラー作家、トム・クランシー原作の映画『パトリオット・ゲーム』で、人気キャラクター・ジャック・ライアンを演じて、これが大ヒットを記録します。前作の成功を受けて製作された続編『今そこにある危機』にも同役でジャック・ライアンで主演して、三度目の当り役となりました。

1993年には、過去にゲストした人気ドラマ『逃亡者』の映画版で主人公リチャード・キンブルを演じました。『逃亡者』も興行的に大きな成功を収めると、同時にゴールデングローブ賞にノミネートされました。ハリウッドのマネーメイキングスターとしての地位を確固たるものにしました。

90年代から2000年代もマイペースに俳優業を続けていて、2008年(平成20年)に4度目のインディ・ジョーンズを演じた『インディ・ジョーンズ/クリスタル・スカルの王国』では、60代になっていますが果敢にアクションに挑戦しています。

2010年(平成22年)に公開された『小さな命が呼ぶとき』では俳優として出演したほかにも、ハリソン・フォード自身2度目となる作品の製作総指揮を担当するなど、精力的な活動を行っています。

ハリソン・フォードあれこれ

・ワイオミング州ジャクソンホールに800エーカー(3.2km2)の農場を所有しています。気に入った映画の脚本がない場合は、所有している農場でのんびりと過ごすというライフスタイルを貫いています。

・ハリソン・フォードは飛行機とヘリコプターのライセンスを持っているので、過去にヘリコプターや飛行機で人命救助を行ってます。『インディ・ジョーンズ』ばりの私生活だと話題になりました。

・日本へ来日した時には、自家用ジェットをハリソン・フォード自ら飛行機を操縦して来日したことがあります。

・映画のプロモーションを積極的に行うことで知られています。日本には1982年(昭和57年)の『ブレードランナー』で初来日してから、2008年(平成20年)の『インディ・ジョーンズ/クリスタル・スカルの王国』まで、映画PRで合計9回の来日を果たしています。

・2001年(平成13年)には、『ギネスブック』で最も裕福な俳優と記されたほかにも、2003年(平成15年)にはハリウッド・ウォーク・オブ・フェームに選ばれています。

・私生活では×2です。1964年(昭和39年)にメアリー・マーカットと結婚して2人の子供をもうけていますが、1979年(昭和54年)に離婚。1983年(昭和58年)に脚本家のメリッサ・マシスンと再婚して、息子と娘をもうけていましたが2004年(平成16年)に離婚しています。その後は女優のキャリスタ・フロックハートと2010年(平成22年)6月15日、映画の撮影で滞在していたニューメキシコ州サンタフェで挙式しました。

・『ファイヤーウォール』や『インディ・ジョーンズ/クリスタル・スカルの王国』では撮影当時には60代でしたが、ほとんどスタントマンやスタントダブルを使わずにハリソン・フォードは自ら演じたといいます。